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電車の中で文庫本や新書にブックカバーを着せている人が非常に多いのを見ても分かる通り、「本にブックカバー」はもはや常識のようだ。前2作に続き超絶ベストセラーになった村上春樹の『1Q84 BOOK3』にも、凄まじい数のカバーが付けられたことだろう。しかしこの「ブックカバー」、実は日本独特のものということをご存知だろうか。なんと欧米には、本にカバーをかけるという発想自体がない。英語で“book cover”は本の表紙のことで、それに被せてあるカバーは“dust jacket(ダストジャケット)”と呼ぶが、そのジャケットの上にさらに被せるカバーは、書店にも文具店にも注文の多い料理店にもないらしいのだ。
ではなぜ、日本には「ブックカバー」が生まれたのだろうか。そのルーツは、一説によれば古書店のサービスだったという。時は浪漫あふれる大正初期、古書店が客に本を渡す際、本の保護とともに「代済み」の目印と店の宣伝の意味合いを込めて店独自の包装紙にくるむことを始めた。これが大いに好評を博したので一般書店も真似をし、新しい本にもカバーがつくようになったというのである。加えて、物をきれいに使うことを好む日本人のメンタリティーがカバーの意味合いを次第に変えていった。本を傷や汚れから守る意味が強くなり、廉価版だったはずの文庫にもグラシン紙の半透明カバーが付属。表紙にカバーが付くようになると、そのカバーをきれいに保つためにカバーがかけられ、さらには布製や革製のお洒落で高級感あふれるブックカバーが市販されるまでになった。現在では海外ブランドからも日本向けにブックカバーが発売され、書店の紙カバーのコレクターが存在するなど、もはや完全に日本文化の一つとして定着。物を大事にする日本ならではのアイテムといえるだろう。欧米では、19世紀初旬にそれまでは綴じただけだった本に厚紙や革の表紙(cover)がつくようになり、装幀本が一般的になった。表紙はやがて金箔細工などでカビもとい華美に装飾されるようになり、それを反故ちがう保護するためカバーで覆うようにしたのが、現在のダストジャケットのルーツだ。当初は包装紙や馬券のように購入後すぐ捨てられるものだったらしいが、19世紀末にはアートなデザインや多色刷り・広告入りなどで表紙より目立つようになり、表紙に換わって本の顔となった。このように、欧米では本が派手に装飾・デザインされることが多かったため、守るために覆ってしまうより、そのまま誇示する発想になったのかもしれない。本の持ち方に、欧米と日本の国民性の違いが伺えて面白いではないか。
ちなみに「ブックカバー」を使う理由で意外に多いのが、「どんな本を読んでいるか知られたくない」というシャイなもの。特に、題名を見せたくないという奥床しい意見が多く報告されている。たとえば、心身ともに健全で良識的な紳士淑女が眩暈を催すような言葉や、「モテる」「儲かる」「偉くなる」「世界を征服する」「神になる」など、ささやかな欲望を率直に表現した言葉は羞恥心を高めるようだ。しかしそんな本を読む時も、革のブックカバーの力を借りれば安心。片手で革のブックカバーを目の前に掲げ、やや難しそうに眉根を寄せながら眼鏡を少し上げ、クールな瞳で本を見つめる。そうすれば、知的でスマートな人間をさりげなく演出することが可能だ。但し、ステキな異性から「何の本ですか?」と訊かれた際の危機管理体制は、予め完璧に整えておくことをオススメする。
“人間だけが本能を乗り越える。本能を封じ込める。本能に逆らえる。それを犀川は「人間性」あるいは「人間的」と呼んでいる。人を愛したり、子供を慈しんだり、群れを成し社会を作ることは人間性ではない。むしろ、我が子を殺す意志こそが人間性だ。あらゆる芸術は、この反逆に端を発しているのである。 泣くという行為も、本能に逆らう、つまり、生への反逆ではないだろうか。人類に固有の意志かもしれない、と思った。 生まれた最初から、その意志が存在するのだろうか……。”
“耳元で名前を呼んだり、つねったり身体をゆすったりしても反応がなかったら、昏睡状態です。その人は今“死”と紙一重のところにいます。「事を大きくしたくない」などの体面を気にしている場合ではありません。わずかなためらいで、助かる命も助からなくなってしまいます。すぐに救急車を呼びましょう。”